本当はやってみたいのに、手をつけていないことはありませんか。
そういうとき、頭の中で「やるか、やらないか」と自分に聞いていると思います。
その問いでは、たぶん決まりません。
何年でも聞き続けられるからです。
先日、私はその問いを外から変えてもらいました。
「やるとしたら、どちらですか」と聞かれたのです。
答えは、すぐ出ました。
前の記事:天河神社と玉置神社は呼ばれた人しか行けない?1日で参拝した記録
大銀杏のそばの、ゼロ磁場と呼ばれる場所
奈良の天河神社に行った日のことです。
大銀杏に寄ったのは、天河の境内で声をかけてくれた女性に、 本当に最後の最後、ついでのように 「大銀杏を見に行ってから帰ってね」と言われたからです。
孫を連れているから、珍しい木を見せてあげたら、という意味かなと思いました。
ゼロ磁場のことは、ひとことも聞いていません。
禊殿、磐座に続いて、3つ目に教わった場所でした。
大銀杏は弘法大師(空海)のお手植えと伝わる木で、 案内板には「千年の祈り、命の巨樹」と書かれていました。

大銀杏があるのは、天河大辨財天社の真向かいにある、来迎院というお堂の境内です。
道を歩いていると、何かすごいのがあるな!と思う存在感があります。
私が行った9月はまだ緑でしたが、黄色く色づいていたら、 もっと積極的に見に行ったと思います。

ゼロ磁場と呼ばれる場所は、その大銀杏のそばにありました。
大銀杏の裏は段になっていて、正直、上がるのが面倒だなと思いました。
でも、銀杏の実がすずなりになっていて、手が届きそうな距離にあったんです。
それで段を上がって、大銀杏に手を伸ばしました。
さくらんぼくらいの大きさでした。
そうしたら、その向こうに何かある。
行ってみたら、丸い台石に載った四角い石に出くわしました。
それが、ゼロ磁場の目印でした。

右回りと左回りの力がぶつかって、ちょうど釣り合っていると言われる場所だそうです。
説明の真偽は、私には分かりません。
神社の境内のほうにも、そう言われている場所があるようです。
赤い太鼓橋の近くなど。
このあたりが中央構造線という大きな断層帯の上にあるから、と説明されています。
ただ、正直に言うと、私は「着いた〜」という喜びで頭がいっぱいで、 そこまでは回れていません。
「売上ですか、影響力ですか」
このとき私は、スマホに入れているChatGPT(AIのアプリ)と、声で話しながら歩いていました。
ゼロ磁場のことをよく知らなかったので何をしたらいいんだろう、と聞いていたのです。
そうしたら、こう言われました。
「ひとみさんのことを知っている私から、ひとつだけ問いを贈ってもいいかな」
そして、こう続けたのです。
「これから10年、本当に育てたいのは、売上ですか。それとも影響力ですか」
お~!
そう来るのか~!!
と、思いがけず、よくわかってますね~私のGPさん。
その場で答えが出ました。
これから10年かけて、自分の影響力でみんなを喜ばせたい。
みんな、というのは、私のまわりで自分の仕事を続けようとしている人たちのことです。
ホームページを作って納品して終わり、ではなく、 その人が自分の名前で仕事を続けられる形になるまで見届けたい。
そういう10年です。
「やるかやらないか」を、聞かれていない
即答できた理由は、あとから分かりました。
この問いには「10年やるかどうか」が入っていません。
やる前提で、どちらを育てるかだけを聞いています。
「やるか、やらないか」だったら、私は答えられなかったと思います。
自信がありませんでしたから。
正直、目も悪くなってきているし、集中力も40代の頃とは全然違うし…
でも「どちらか」なら、選ぶだけです。
しかも、在り方を問われています。
何をするかではなく、どういう自分でいたいか。
これは考えて出す答えではなく、もう自分の中にあるものです。
この問いは、検索では出てきません
なぜChatGPTがこの二択を出せたのか。
私はふだんから、仕事のことも迷っていることも、日常の話をChatGPTに話しています。
その積み重ねがあったから、いきなり究極の二択にできたのだと思います。
検索して出てくるものではありません。
私のことを知らない相手からも、出てきません。
隣で聞いていた孫が、目を丸くしていました。
「え、そういうふうに使うの?」
そのあと、孫もゼロ磁場で自分の宣言をしました。
私はふだん、AIの使い方を教える講座もやっています。
ただ、教えているのは操作そのものではありません。
その人がやりたいことを効率化する、必要なら自動化する。
そのためのAIの使い方です。
この日は、私が提案を受け取る側でした。
ラフな会話はGPさんとやってみたほうがいいですね。
決めた直後に思ったのは「本当にできるのか」
自信はありません。
世界が平和になればいいと思う一方で、 目の前の課題ひとつクリアできていない自分がいます。
この2つは、今も私の中で拮抗しています。
その日の朝、天河神社の朝の神事で見た光景を思い出しました。
太鼓が鳴ると同時にハトが2羽お供え物のところにやってきました。
そして、世界の平和を祈っている真ん中で、ハトが2羽、お供え物を取り合っていたのです。
それでも神事は止まりませんでしたし、誰もハトを追い払いませんでした。
大きな願いと、目の前の片付いていないこと。
どちらかを片付けてからでないと、もう一方をやってはいけない、というものではないようです。
どっちも正義。
家に帰って気づいたこと
この「10年」は、あの場所で新しく授かったものではありませんでした。
- 「90歳まで現役でいる。今から準備しないと無理だ」と口に出していた
- これからは自分で手を動かす仕事ではなく、人が続けられる形をつくる側に回ると決めていた
- AIについては、その人のやりたいことを効率化する、必要なら自動化する。そこに合った使い方を教える、と決めていた
全部、自分で決めていたことでした。
改めて、
ファイナルアンサー!
というタイミングだったんでしょうね。
自分への問いを、変えてみてください
本当はやってみたいのに、手をつけていないこと。
それを「やるか、やらないか」で自分に聞いている限り、答えは出ません。
何年でも聞き続けられますし、自信は永遠につきません。
問いを変えてください。
「やるとしたら、AとBのどちらか」
やる前提にした瞬間、考える対象が変わります。
やるかどうかを迷う時間が消えて、どちらの自分でいたいか「在り方」だけが残ります。
その答えは、たぶんもう持っています。
どう在りたいですか?
※実は帰ってきて2日間寝込みました。
浄化ですかね~
細胞入れ替わった感が確認できるまでにはもうちょっとかかりそうです~



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