ちゃんと動いているはずなのに、心だけが追いつかない感覚
ラスタイルデザインのひとみです。
これまで関わってきた方なら、
私がまったく動いていなかった時期があったわけではないことを、知っていると思います。
予定は入っている。
やることもある。
人から見れば、ちゃんと前に進んでいるように見える。
それでも、ふとした瞬間に
「これでいいんだろうか」
そんな問いが頭から離れなくなることがありました。
夜、ひと通りやることを終えて、
スマホを置いたあと。
静かになった部屋で、
今日一日を振り返りながら、
理由のはっきりしない違和感だけが残る。
そんな時間が、何度もありました。
「売上につながる行動なのか」を考えすぎて、止まってしまった
何かを思いつくたびに、
頭の中で次の言葉が浮かぶようになりました。
「それって意味ある?」
「ちゃんとつながる?」
「遠回りじゃない?」
最初は前向きな問いだったはずなのに、
いつの間にか、それがブレーキになっていました。
考えすぎて、決められない。
決められないから、動けない。
動けない自分を見て、
また考え込む。
そんな循環の中に、
長くいたように思います。
周りからは動いているように見えていたこと
不思議なもので、
そういう時ほど、周りからは
「順調そうですね」
「いろいろやってますね」
と言われることがあります。
否定されているわけでもない。
責められているわけでもない。
だからこそ、
「この違和感は、私のわがままなのかな」
と、自分の感覚を疑ってしまう。
表に見える動きと、
内側の迷いがズレていく感覚は、
じわじわと心に残っていました。
相談を聞きながら、胸がぎゅっとなった瞬間
あるとき、誰かの話を聞いている最中に、
ふいに胸がぎゅっとなった瞬間がありました。
言葉の内容ではなく、
その人の迷い方が、
少し前の自分と重なったからです。
ちゃんと考えている。
ちゃんと向き合っている。
でも、決めきれない。
その姿を見ながら、
「ああ、これ、私も同じところにいたな」
と、はっきり分かりました。
迷いは、ちゃんと向き合ってきた証拠だった
その時、初めて
「迷っている自分」を否定しなくていいと思えました。
迷いは、サボっているから生まれるものではない。
むしろ、
ちゃんと考えてきた人ほど、
簡単に決められなくなることがある。
そう気づいたとき、
自分の中で少し力が抜けました。
無理に答えを出そうとしなくてもいい。
今は、整理する段階なのかもしれない。
そう思えるようになったのです。
あの時の立ち止まりが、今につながっている
振り返ると、
あの頃の立ち止まりがなければ、
今の関わり方は生まれていなかったと思います。
焦って決めていたら、
きっと見落としていたものがある。
迷った時間も、
止まっているように見えた時間も、
全部が無駄ではなかった。
春に向けて、
そんな経験を持つ人と、
同じ目線で関われたらいいなと思っています。
真っ最中の時は、トンネルのど真ん中にいて、本当に出口があるのかな…と思ってましたね。
でも、ちゃんと出口、ありました。



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