令和8年9月6日の日曜日、私は奈良の天河神社(天河大辯財天社)と玉置神社に行きました。
静岡から下道で結局7時間。
夜通しの運転です。
孫と2人。
雨も降る(予定だ)し、山道は通行止めかもしれない。
これを読み始めていただいたあなたが、もし、
「今のままでも、別に困ってはいない」
そう思える方には、たぶん私はウザい存在です。
ここから先は読まなくて大丈夫です。
同じことを繰り返しながら、違うステージに行けることはありません。
経験の延長線上には、これまで経験したことしか出てこないからです。
違う場所に行きたいなら、行ったことのない場所に、自分で足を運ぶしかない。
一度きりの人生です。
私はそれを、正解の探求だと思っています。
難しい言葉にする必要ないですね。
きっとそれは、冒険です。
行けるかどうかは、行ってみないと分かりません。
そんな事実に基づいたお話です。
行くと決めたのは、お墓の前でした
そもそも天河神社のことが気になり始めたのは、数日前です。
YouTubeを見ていたら、たまごボーロで知られる竹田和平さんの話が流れてきました。
和平さんの工場には、子どもが小さい頃に連れて行ったことがあります。
中が「ありがとう」の言葉だらけで、おもしろい会社だなと思ったのを覚えています。
その流れで、パワースポット一人旅チャンネルが出てきました。
そこで紹介されていたのが、天河神社です。
別の日に流れてきた動画でも、また天河神社でした。
私は、呼ばれたと思ったら神社に行くことにしています。
でも奈良は遠い。
そのときは、ひとまずGoogleマップに保存しただけでした。
それでも2つ重なったのが気になって、自分の家のお墓に行きました。
行くべきかどうか、聞きに行ったつもりです。
そこで、自分には多くの人を導く役割がある、という声が聞こえたような気がしました。
正直に書きます。
荷が重すぎるから勘弁してほしい、と思いました。
この感じには覚えがあります。
コロナ禍のとき、9999という数字をやたらと見るようになりました。
エンジェルナンバーというものですね。
調べたら、人の役に立つ役割を引き受けるときの数字だと書いてありました。
そのときも
「それ、私じゃなくてもいいんじゃないの」
「荷が重い」
と思いました。
思えば思うほど、9999が目に入ってきます。
結局そのあと、私はオンラインの道具の使い方を動画にして出しました。
当時、オンラインは多くの人にとって不安のもとだったからです。
そこから当時のオンラインコミュニティをやることになって、 みなさんに喜んでもらえて、売上も上がりました。
やる前に分かっていたことは、ひとつもありません。
やってみたら、そういう結果になったのです。
お墓の前での感じは、あのときとよく似ていました。
そのうち涙が勝手に流れてきて、 やらないと前に進めない、ということに私は同意していました。
墓前で「行ってきます」と伝えて、帰りました。
母には「ちょっと呼ばれたっぽいから、奈良まで行ってくる」と言いました。
止めてもしょうがないから行けばいい、と言われました。
夜通し車を走らせて、奈良の天河神社へ
奈良県天川村にある天河大辨財天社。
ふだんは天河神社と呼ばれています。
静岡を出たのは、前日土曜の夜の11時です。
高速は使わず、下道で7時間ほどかかりました。

下道にしたのには理由があります。
今回のことは、試されごとだと思っていました。
だから高速でサクッと行くのは、違うなと。
それに、夜中に走るなら下道で充分行ける。
これはうちの中では常識みたいなものです。
助手席には孫が乗っています。二人旅です。
このころ、娘の家族に体調を崩している人が続いていて、 元気な孫を預かったり、看病を手伝いに行ったりを繰り返していました。
その中で5年生の孫だけは元気だったので、一緒に連れて行くことにしました。
途中で具合が悪くなったら、そのまま帰ってくればいい。
孫には「寝ながら行けばいいよ」と言いました。
出発を土曜の夕方に決めて、少し仮眠をとってから車を出しました。
途中、朝4時ごろにオスの鹿に出会いました。
真っ暗な山道で、目の前をゆっくり横切っていきます。
6時ごろ、明るくなってきた道でもう一度、今度はメスの鹿に出会いました。
眠気が一気に飛びました。
「行っていいんだな」と思ったのですが、 今にして思えば、もう行くと決めていた自分が、そう受け取っただけだったのかもしれません。
朝7時半の神事に、たまたま参加できました
天河神社では、毎朝7時半から朝の神事があります。
ちょうどその時間に居合わせて、20人ほどの参列に混ぜていただきました。
(時間や参列の可否は変わることがあるので、行かれる方は事前にご確認ください)
神様にお供え物をして、世界の平和を祈る神事です。
太鼓が鳴り始めました。
すると、ハトが2羽、お供え物のところに降りてきて、バタバタと取り合いを始めたのです。
世界の平和を祈っているその真ん中で、目の前でハトがごはんの奪い合いをしている。
でも、20人いた誰も、何も言いません。
ああ、いつもの光景なんだな、と思いました。
太鼓の音が、あの子たちにとってはごはんの合図なんでしょう。
祈りと、ごはんの取り合い。
同じ場所で、同時に起きていました。
玉置神社に寄るかどうか、条件が3つありました
この日、もう一つ行きたい神社がありました。
十津川村の玉置神社です。
天河に行くと決めたときに、同じ奈良で近い場所を調べていて見つけました。
そのときはブックマークしただけです。
今回も、呼ばれたという感覚があったわけではありません。
ただ、せっかく近くまで来たのだから寄りたい、と思っていました。
行くつもりではいたのですが、条件が3つありました。
- 天河から2時間かかる
- 雲行きが怪しい
- 山道なので、通行止めがあるかもしれない
それに「玉置神社は呼ばれた人しか行けない」という話も聞いていました。
資格があるかどうかは、正直そんなに気にしていません。
行ってみればわかることですから。
ただ、道が通れるのか、実際に行った人はどう言っているのか。
それは確かめておきたいと思いました。
天河の境内で、声をかけてくれた女性がいました。
せっかく来たのだからと、みんなはあまり行かない禊殿(みそぎでん)への行き方を 教えてくれました。
禊殿は、境内から歩いて10分ほど離れた場所にあります。
車でもいけるようですが、歩いても十分いけます。

教わったとおりに歩いていくと、その方がまたそこにいました。
境内の外で、草取りをしている最中でした。
せっかくだから磐座(いわくら)も見ていくといい、と言われました。
本殿と一対の鏡なのだそうです。

磐座を見て戻ってきても、その方はまだ禊殿の草取りをしていました。
聞くと、その方は「天河に命を救ってもらった」と言っていました。
それから定期的に、天河神社ゆかりの場所を掃除して回っているそうです。
地元の方ではないようで、車は名古屋ナンバーでした。
この日にその方と顔を合わせるのは、これで3度目でした。
それならこの方に聞いてみよう、と思いました。
「このあと玉置神社にも行こうと思うんですけど、行けない人もいると聞いて……」
そう言うと、その方はこう答えてくれました。
「天河と玉置神社は一対なので、行けますよ」
そうか、天河に来れたから、玉置神社も行けそうだ…と思いました。
そして最後に、 「通行止めがあるかもしれないし、天候も気になるので、無理なくお幸せな旅を」 と送り出してくれました。
迷いが消えたわけではありません。
孫も連れてるし、相当山道だし。
運転には不安はないけど、通行止めは心配…
そんな風に思って、天河から出発しました。
雨が降ってきたので、逆から回りました
玉置神社には無事に着きました。
着いた頃には、雨が降り始めていました。

この日、天河でもくもりではありますが、雨ではなかったのは奇跡かもしれない。
今回問題の「玉置神社」は本来、駐車場のあるところから少し上ったところから山頂へ上がって、そこから下りながらお参りするのが作法だそうです。
でも雨です。
どうしたものかと思って、駐車場の前のお土産やさんのおじさんに聞いてみました。
「初めての参拝なんですが、雨の場合は、どうすればいいですか」
危ないので、逆から回ってもいいですよ、と教えてもらえました。
孫と2人、みんなが下ってくる道を、逆に向かって歩き始めました。
そのあと、同じように入ってきた組が2つありました。
途中まで同じペースで進んでいましたが、 2組とも途中で引き返していきました。
雨でしたから、当然の判断だと思います。
道の途中に、三柱神社(みはしらじんじゃ)があります。
案内板には「この神社は稲荷社とも呼ばれ、玉置山の地主明神でもあります」と 書かれていました。
雨の中、朱い幟がずらりと並んでいます。

私と孫はそのまま進んで、山頂まで行きました。
森の中の階段道を登るにつれて雨も風も強くなってきましたが、孫は周りの大人たちの疲労した顔など我関せずで、立ち止った私を待ってくれながら、山頂にも到達できました。

私があきらめなかったのは、孫の存在が100パーセント!
感謝です!
そして、そこからの道も森の中をすり抜けていく道。
1本しか道はないけど、この道の先に何があるとか、標識がなくて、孫とここで迷ったらどうしよう…と内心思ってました。
そんなタイミングの時、目の前を大きなカエルが横切っていったのです。
思わず足が止まるくらいの大きさでした。
大人の握りこぶし5個分くらい。
あまりにもびっくりしすぎて。
せっかくスマホも持っていたし、充電も十分あったのに、撮影するという行動には至りませんでした。
意味づけは、あとからいくらでもできます。
間違いなくその時、怖いな、帰れるかなという不安は払拭されて、
あれ?神様じゃない?
って話で孫と盛り上がりました。
「あきらめないで歩き続けてよかった」
自然からご褒美をもらった気持ちでした。
聞く相手は、その場に関わり続けている人
話しを前に戻しますが…
この日、私が自分の判断についての助言を、人に尋ねたのは2回だけです。
「行けない人もいると聞いて……」
「こういうときは、どうすればいいですか」
返ってきたのは「一対なので、行けますよ」と「危ないので逆から回ってもいいですよ」。
どちらも、自分ひとりで調べていたら出てこなかった答えです。
誰に聞くかは、適当に決めたわけではありません。
私が見ているのは、その人の熱量です。
私と同じように今日はじめて来た人ではなく、その場に関わり続けている人に聞きます。
天河の境内で出会った女性は、その日に3度顔を合わせました。
禊殿のあたりで、ずっと草取りをしている方です。
玉置神社の駐車場のおじさんは、毎日あの道を見ています。
自分の時間を使ってその場に関わり続けている人は、話し方が違います。
聞く相手は、何人いてもかまいません。
採用するかどうかは、そのあと自分で決めればいいことです。
私の場合、「それはやめたほうがいい」と言われたことこそ、やります。
やってみないと、分からないからです。
これは仕事でも同じです。
実際にやっている人の話には熱があります。
聞けば、だいたいわかります。
行けるかどうかは、行ってみれば分かります
「呼ばれた人しか行けない」と言われる場所の玉置神社に、私は呼ばれた感覚がないまま行きました。
そして着きました。
雨の中を逆から回って、山頂まで行って、戻ってきました。
同じ日、同じ道を、2組が途中で引き返しています。
それが正しい判断だったのかどうかは、その方たちにしか分かりません。
分かっているのは、行った人だけが着いたということです。
- 気になっている場所
- まだ手をつけていないこと
考えているうちは、何も分かりません。
動いてみたら、現状は必ず変わっていきますよ。
気になっている場所があれば、何日に行くというのを決めてみましょう。
まだ手をつけていないことがあるなら、ピンときたあの人に連絡してみる!
どちらも無料でできることだから、やった方がいいというのが、このお話で言いたかったことかな~(笑)



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